コーヒーはインスタント。午前中は写真家、南川三冶郎氏と雑談。氏は現在、伊勢神宮に通われている。違いがわかる男の書斎の傍らにはNikonD4!
小生は、ここのところ、伊勢神宮の神域外の四季自然風景と動植物をライフワークとして、日々。時間があれば、神々の森に源を持つ、清流、五十鈴川の川辺を歩く「ちいさな旅」を繰り返し、繰り返している。
春から初夏の川辺は、楽しい。空気が美味い!心が癒される!源流の「ひとしづく」を見る。自生のわさびが小さな白い花を咲かせ、まさに原始の風景がそこに展開する。
ひとしづく、ひとしづく。集まって「水」となり、木漏れ日に輝く!
生命の水に育まれ、春。花が咲き、季節が巡る!四季自然の回廊がそこかしこで展開する。
谷となり瀬となり、森を潤す。やがて、川となる。生命の食物連鎖をささえる「ちから」が、神宮の森から繰り返し、誕生する。まさに神の森なのである。
ふるさとの田畑では、そこかしこで「小さな」生命のいとなみがあって、生命を次へと繋ぐ。それが、春という「季節」。麗しき四季を刻む「うまし国」日本の二十四節気が、えんえんと繰り返されてゆく。
空からの雨も集めて、五十鈴川の流れが、つづく。大量の水が「米」を育てる。米作りこそが「日本人」のこころで、あるに違いない。五十鈴川の川辺の春から、初夏の巻?
次の季節の伊勢、伊勢志摩は。夏至にかけて、富士山をシルエットにして、朝陽が昇る。昨年は撮れなかったんだけれど。今年も伊勢志摩の岬に通う。星夜もあれば、月夜もある。明けて行く東の空のドラマチックな現象は、うつくしくすばらしい。海からの日の出は、海鳥の乱舞、鳴き声で、目覚める。
山の匂い、川の匂い、そして。海の匂い。それが、風景の音色と同化する「ひととき」を写真と言う、一枚の絵に残せれば?撮影は成功である。