本日の撮影はサッカーを9ステージ。しかも、500、70-200、
24-70のラインナップで「全て」手持ち撮影。近頃は腕力が付いて、筋肉痛にもならない?ただし、相反して「下半身」が99%使い物にならない。もちろん「男」としての「仕事」も出来ない!これは冗談ではなくて、最悪の生活を送っている(泣)。
車の運転もままならず、大方は直っちゃんに便乗させてもらっている(大感謝!)。
松阪方面から帰還したんだけれど。伊勢神宮方面は日没近い時間帯なのに動かない。皆さん、参拝できない「時間帯」になっているのをご存知なんだろうか?連休後半、まだ3日。それで、これ?これから?4日、5日、6日、、、。
小生などは「毎日」が「おかげまいり」である。朝、出かける時に「神宮」方向に「二礼、二拍手,一拝」を日々欠かさない。帰還したら同じく手をあわす。悠久の森と五十鈴川の流れに「四季彩」をもとめる「散歩」が「心の旅」となった「日」から、無意識にそうなった。
日々の出逢いが、二十四節気を感じるコトで「生きてる」意味を知るワケで。五十鈴川の流れを見ながら、写真家なんで、ときおり「すなっぷ」しながら「いけるとこまで」「いける時間まで」山に居る。
出会いは偶然と必然の「運」である。やまどりの横断を距離を置いて、待つ。その距離の「絶対値」が分ってきた。もちろん、個々で違う。
さんこうちょうが小生を見にやってきた。やたら、近い!レンズを通して「目」があった。昨年、巣立ちを見守った「やつ」なのか?いろいろ、言葉を投げかける。10分以上「遊んで」くれて、去った。
源流の森の若葉の四季彩が日々、濃い緑へとかわる「頃」。いきものたちのあたらしい「生命」をはぐくみ、巡る季節と出会う。連綿と太古から「伊勢の森」で繰り返し、繰り返される。人は頭をただただ、下げるコトしか「他」に無く、自然はうやまうモノであると悟る。