本日の撮影現場では、曇りのち雨のち曇りのち雨。機材がじっとりと「水分」を含み、メイドインJAPANはどこまで酷使に耐えるのか?撮影は阿吽の呼吸で名古屋の巨匠と片付けた。これが某M県のカメラマンとなるとぐだぐだと進まない(いや!失礼)。
画像処理と電送は明日にして、ゆっくり睡眠をとることに。夜勤は止めた。レース中に電話が鳴って、またまた「生死を彷徨う」話である。この年齢付近はまさに「鬼門」である。身近な知り合いが脳梗塞で倒れた。近々で二人目で、そいつらは人一倍タフで野蛮人だった。一応生きてるらしくて、手術はこれからで、週明けにうまくすれば「一般病棟」とゆーコトである。
不幸にして亡くなった親友を思い出す。自転車でよくツーリングにでかけた奴。そいつも幼馴染の同級生。自分はと言えばICUに延々8日間も滞在してよくもまあ、生き返ってきた。このとき悲壮感は無く、病院関係者が一刻を争って親族を呼び寄せたのも「他人事」のように倒れた床で身動きできないが耳には届いていた。そんな感覚でいたんで、生き返ったのだろう。実際は倒れる前に自分で救急車を呼んで、家に施錠してストレッチャーに乗り込み、処置台へよっこらしょと移動して、15分間の意識不明の「ひととき」にフルパワーでAEDだったのだ!血栓が脳に飛んだら「一貫の終わり」と一筆を残した。生き延びてICUのベッドへも自力で移り、一般病棟のベッドへも同じく自力で移った。
この時、脈拍が180台を打っていたが、心臓は肥大して収縮を止めていた?で、肺に水が溜まり、バキュームのホースが突っ込まれ、強引に吸水、腎臓もダメージを受け、酸素吸入器で鼻口は塞がれ、最高レベルの酸素吸入で、生命を繫いでいた。ただし、まだ。酸素の値が体から出る数値がボーダーラインで、、、。あの世とこの世をやじろべ~していた。前代未聞だ。
息がきれる「運動」はご法度なのだけれど。ときどき「限界」をやる。どーなれば「死」にちかづくかは「経験済み」なので、やばいと思ったら呼吸を整え、心肺機能を落ち着かす。これでは「心」ときめく「恋」なんぞもっての他となる。やっぱり人生は終わったのだ、、、。
で、少しばかり「開眼」した。世の中に役に立ち、なにかしらの「ご恩返し」なるものの「真似事」でも良い。なにか出来ないものかと?さて、そろそろ「寝る」時間かな?