海の揺りかごである。暖かくなった陽射しが幾筋ものカーテンとなって、海のいきものたちを育む。食物連鎖の四季の営みが繰り返し繰り返される。人もまた、この循環に活かされている。で、人間のみが愚かさを繰り返すのは何故だろう?
夕方は三寒四温の裏切りにあって、決まって薄着を呪う。遮るものの何も無い岬は烈風の洗礼をまともに受ける!分かっていても、対処を怠り、嘆くコト毎回のルーティンが情けない。デジタルカメラのスペックはもはや、写せない被写体は無い!素晴らしい時代だ!
伊勢の神崎、国崎の鎧、波切大王が無けりゃ良い。
海の難所である。それゆえに「豊穣の海」である。日本書紀に詠う、常世の国のしきなみの寄せる国なり・・・である。これからの季節、富士山と朝陽が絶妙の距離になり冬とは趣を変える。海に見える富士山が一年中伊勢志摩の風景を彩る!日々の感動はドラマチックに四季彩を展開する。伊勢志摩の二十四の季節をいきものたちの躍動で「表現」する仕事(撮影)がミッションである。
本日は強風烈風につき、空に猛禽が舞うだけで、海鳥の姿は磯に無く、いつか見た乱舞とか珍鳥の姿は皆無で、まあ次期投入の600f4&D500にチャンスを待とう?慌てない慌てないと、一休さんの心境を見習おう(笑)。こころの余裕こそが、最大の力を発揮できるキモである。精一杯努力した後に来る「平常心」こそに、運も味方する。
閑話休題!
地震の脅威が、人ごとではなくて。日々海を眺める昨今、崖に張り付き、磯を渡り、砂浜を歩いていると。時折、言いようの無い不安がよぎる「ひととき」がある。過去に音も無く、海面が上昇して、呑み込まれた経験がある。後に津波と知る。今、生きているから間一髪の話も出来る・・・。中央構造線の上で、日々。風景にカメラで挨拶を繰り返しているが、今の所?愚然、何事も無く?過去の経験は震度5弱だけで済んで居る幸運もこの先、この所の報道でその上は必ず来ると。
風景写真で、自然と対峙しているとなんと危険箇所の多さを実感する。さらに梅雨、台風で。と思うと憂鬱になる・・・。