神々が鎮座され、仏が祀られる「国」。伊勢志摩、三重。
膝のリハビリを兼ねて、無理をしすぎて、足首を痛めた(笑)。つまらんことで、違う「限界」を見て、味わっている。で、目覚めた。本当にプロフェッショナルなんだろうかと。仕事も喰う為と自分を高めるモノと割り切ってはいたが、、、。
Nikonのデジカメはまさに「革命」で、画質が、最高の仕上がりを見せて、魅せる。四季自然、色彩の二十四節気。人が自然に活かされているコトの先祖の知恵が、凝縮されている。暦を写真で、捕らえられなかった、いままでのデジタルカメラ。Nikonが、またしても「とびら」をひらいてくれた。
こつこつと歩くと見えてくる。伊勢の風景から、始めた。Nikonはレンズも良い。ただし、画像の処理はCanonDPP,NikonNX2,フォトショップCSを駆使する(笑)。1テーマ、1カットに1時間を越える。ただし、今はオレンジ色の薄暗い、現像液の臭いのする「暗室」ではなくて、明るい部屋で、何度でもやり直しの効く、緊迫感の無い、エンドレスな時間との闘いを進めている。ただし、こっちはだからこそ、化学反応に追われる緊迫感が無い分、違った究極の集中力と持久力のモチベーションを保つコトにかかっている。だから、暗室よりも明室のほうが、はるかに大変だ。
1カットのギャランティーに勝負を賭ける!これが、本来のプロフェッショナルである。この辺が、デジカメになって、希薄にされていた。これは、自分の責任である。見直そうと「写真作家」の道に目覚めた。
すばらしき日本の四季自然をアートする「旅」が、今年から、はじまっている。で、歩きつかれて、腹が減り、食卓に辿り着けなくて、夕飯が、コンビ二弁当で、これはこれで、なんとも「しあわせな」美味しさで、熱いお茶が、この上も無く「気分」をほっこりさせてくれて、この充実感はなんなんだろうと思う「ひととき」があって、真剣に一枚の写真創りにむきあう自分を見つけていた。
体力と知力の限界を写真撮影で感じれるコト。生きてる悦びがそこにあり、四季彩との「出会い」を楽しむ。プロだから、それを「世」に問う。で、機材がなんせ、重い。足がいつまで、もってくれるんだろうか?ぐだぐだやってる時間は無い。旅に病んで、夢は枯野をかけめぐる。そんな「心境」のわかりはじめた、きょうこのごろ。
貧乏写真作家の旅。なんて良い「ひびき」だ。