持っている。少年期から青年への狭間だっただろうか。その後、親友と言えるところの末席にかろうじて入れてもらっていた仲間があって、今も交友があるのはひとりになってしまったが。
中学生の頃。天体望遠鏡を担いで、光害の無い山道を「日の出登山」したことも。あの日と同じ切通しに立ってあの日とおなじ「ふるさとの町の夜景」を眼下に見た。感動は初めて見た「あの日」には遠く及ばず。悲しいコトだ。アマチュアは普通ネガフィルムを使っていたのに我々はすでにリバーサルを使って、天体写真を撮っていた。雑誌の公募に掲載される目的と明確だった。
ターゲットは天文ガイドと天文と気象という全国誌で、なんどか掲載された。白黒はXレイフィルムを切ってパトローネに自分で巻いて、増感現像を自分でやってバラ板紙の5号に焼いた。今のようにエアコンが普及していない時代なんで、現像液の温度管理に苦労した。で、光沢紙が応募の原則だったので、フェロ版に密着させて電気で乾燥させた。
写真の技術はそのころから磨かれて、今にして思えば。プロフェッショナルフォトグラファーへのプロローグであったに違いない。それは写真すべてにこころを揺り動かす感動と夢があったからに他ならない。で、30歳を過ぎた頃。様々な流れが本当に厳しいプロへの道を選択させていた。
大人になって、青年期も過ぎて、還暦。いまだ「夢の中」にいられるのはしあわせである。写真の道だけが、不思議と紆余曲折を経験しないままラストスパートに入っている(大感謝!)。
ただし、クリエイティブな世界でともに創造し、夢中で励んだ仲間達がいて、影響を受けたり夢を共有したりしたひとときに生きた仲間達。悲しくも先輩、後輩の中から「他界」していった「仲間」の数が年齢を重ねた分増えてゆく事実を信じられないまま日々を重ねている(黙祷)。
朝熊山(岳道)とは古来から亡くなった人たちへの供養のための巡礼の道である。伊勢人には神と仏が人々の心の中に同居する。
今。原風景を辿る夢の途中かも知れない、、、。