大自然の下では、ひとつの山でも顔はひとつでは無い。
東西南北、標高など数えたら、その数だけ(顔)がある。頂が見えれば厳しく、里が見えればやさしくなる。日が昇れば、よみがえり。雪が舞えば、無の世界になる。常緑樹と広葉樹が絶妙な生態系を見せる(伊勢志摩)朝熊山岳道。四季の変化も千差万別。南斜面の道で風の無い陽だまりはのどかで、あたたかい。人は温度差で体感温度をまったく別の世界のように感じる。氷点下の山頂から下山して、全てが凍てつくリミットから開放されて、1度、2度と気温が上がれば、暖かく感じる。ましてや氷点下から脱出すればなおさらである。
里が近くなった山道には落ち葉がたっぷりと堆積し、山々の森はこんもりとふっくらと枝をひろげて(たっぷり)と太陽を浴びて、嬉しそうだ。山々の顔がそう見える。人のこころを映す。
重い荷物を背負っての下山で(膝)が笑っている。急ぐ旅では無いので、もう休み休み腰掛ける場所を探す。一度ザックを降ろしたら背負うのに実は体力を無くしていて一苦労。休むのにも葛藤がある変な状況なんである(笑)。
で、いまや本能と化した(写真)への思いは常にシャッターを切る準備を思考回路がスイッチON状態で、いかがなものかと思う、きょうこのごろ(笑)。で、シャッターを切る被写体が出現するとどんなに疲れていても疲労もとんで無くなるから、不思議だ!