見ると聞くでは大違い!自然界の脅威では済まされない「崩壊現場」に数えくれないくらい「遭遇」した。近年の宮川村、熊野、そして、青山。普段、撮影で何度も訪れているフィールドが一変する「事態」に何年に一度だとか?未曾有などという都合の良い「表現」でかたづけられない「現実」があって「災害」は忘れた頃にやってくるんじゃなくて、今日明日の話なんであった。
山野がやばい!いつ、どーなってもおかしくない「危険」が目に映る。
まだ、目に映る「危険」の方が良いと思えてきた。コンクリートなどでブロックされた「内部」で、隠されている危険のエネルギーは人工的には制御できないコトは東北大震災で、人類は学習したはずだ。
ただし。だから、どうこうできるレベルの「コト」では無い。
写真家として、なにをなすべきか?心が重くなった。一方で、人が生きてゆくのに向かう方向も見た。山里は秋祭り真っ只中で、人の輪が、伝承を継承する「ひととき」を共有させてくれた。子供参加の獅子舞を見学。土地の古老に説明までしていただき、よそ者を暖かく迎え入れてくれた、伊賀の人たちに感謝したい。人から人へ伝えてゆくコトのすばらしさ、人間らしさが、山里には脈々と残っていた。
無病息災、五穀豊穣。日本人のこころである。まず、日々に生きるコトに感謝から、始まる。
で、東海道関宿に辿りついた時には夕方近くで、小雨。なんども通った道なんであるが、まったく違った光景と雰囲気を感じ、限られた時間ではあったが、満足の行く「シャッター」が切れた。還暦を向かえ、何かに「開眼?」した心境に今があって、それでも試行錯誤の葛藤、現在進行形!