どん底からの「脱出?」。実は内心「もう、駄目かと?」、
思ったのが「昨晩」。なにやら、体調は回復せずに、苦しさと緩和が、交互に日々、続き。好くなったと思いきや、闇に引き戻されるコトの繰り返しを記憶の中で、延々とあって、さすがに滅入った。このまま、悪い方に落ちてゆけば?終りだぞ。ただし、まだ「底」には達してない。経験があると言うことは、好いような悪いような。
で、従来の好い加減極まりない「の~天気」な性格が功を期し、今宵は今までのなかで、回復傾向が見られ、咳き込みが、継続しなくなった。今日だけで、省みれば、何時間も咳き込まなかった「ひととき」もあった。
鼻水は出るも、口で「息」をする「苦しさ」からは「解放」された。さすがに「毎日」が闘病生活の話を書いていると「どんどん」悪い方にいきそうで、好い風も吹いては来ないであろう。好いほうの話もある。長靴の靴ずれの「大きな」瘡蓋が、すこしづつはがれてきて、朝起きると「落ちている」。まだ、完治ではないんで「油断」は「禁物」なんであるが。喜ばしい(笑)。
1テーマ<作品>がこの冬撮影したのが、ようやく完成した。紀伊山系、台高山脈、高見山の雪景色、112カットである。秋の風が吹く頃に、世の中に「ぽつりぽつり」と旨くゆけば?そのうちの何カットかはリリースされるであろう?
「旬」もそろそろ、過ぎる、頃合い。心待ちにした「初夏」なら、「蛍(ほたる)」_渓流の森の「水辺」から、神秘の光が生まれ、闇に浮かび、原生の森の空気に乗って、飛翔し、漆黒の闇の世界を幽玄に彩り、消える繰り返しの中で、この生命体の「特別な」時間が、過ぎてゆく。梅雨の合間の少しの季節、これもまた。美しき日本の四季彩、二十四節気の移ろいに違いない。空には、天の川が流れ、それもまた、神秘の光。
この生命体が時に天高く、舞い上がるも「川沿い」の森の木々のこずえにかかるかかからないかで、落下するように川面に戻るのをときおり、交え。湧き出でて、消え去りを繰り返す。儚いと思うか、思わないか。美しいと思うか、思わないか。いずれもその「ひととき」の「人」の「こころ」の「内底」に。