いつもまにか?規則正しいとされる刻限をすぎて・・・ちかごろ「目覚めた」作品創りなる、還暦からの手習いなるジャンルへのめりこんでいる。元来、凝り性は凝り性であると自覚する。撮影は飽きることは無い、嫌になるコトはある。ただし、それは「卒業」できた。
だが、どうしても通過しないといけない「仕事」がデジカメにはある。画像処理なるレタッチなど。これは、正直「すぐ」飽きる。10カットほどで、限度が来る。続けてやろうものなら、後のリバウンドが半端じゃあない。疲労困憊が後を引く・・・これが、これから「老後」の人生の最大にして、もっとも厄介になる「命題」である。
じつに、「やっかい」である。これを完璧に手を抜かず、通過できるかで「仕事」のクウォリティーの差が歴然とする。真っ向勝負しかないか?朝一番の珈琲をすすりながら、思考回路を繫ぐ、繋がるはずの無い、目覚めから、すでに3時間たっているのに「半分」寝ている感じが、抜けない。
そこへ。食後の「薬」は、眠気倍増の注意書き。
朝から、ほどよい「おしめり」があって、本日も小生には快適コンディションとあいなっている。日の出が、刻々と遅くなってきて、有り難い。極端な「早起き」をしなくて済む。この「こころ」のなまけモノの負の連鎖がよろしくない。気がつき、反省する頃には、あとのまつりで、「来年」のカレンダーに来年こそはと、記す。で、記すだけの「繰り返し」。
これが、好いような、悪いようなの「結果」となるので、カン違いのそれも繰り返し。この支離滅裂さの気味が人生には「逆に」よろしい。完璧、無駄無しの合理主義など。息が詰まるだけで、面白くもなんとも無い。言葉には「無駄」と言う「表現」が存在するが、全ての無駄も、人生にはすべて「無駄」ではないとそれは「悟った」。
ちょっとした「晴れ間」が来ると、暑さ真っ盛りなのに「あかとんぼ」が、群れて舞っている。季節より先に自然界の暦は進んでいると知る。で、鰻専門店は諦めたので、廻る寿司で、「うなぎ」キャンペーンをやってるんで、そこで、メニューとにらめっこする、「予定」・・・。
で、還暦の手習い、現在進行形で、無駄な時間が生じなくなり、好い人生になってきた。ファイナルカウントダウンが実に充実した「時」を刻む!(日々、是。感謝・・・)