あの日も真冬だった。旧道を旅行用自転車で巡る旅に没頭した「もう、ひとつ」の青春があった。そして、今は。ひとり欠けたが、仲間が居て、切磋琢磨していた「頃」。訪れた地が、今の丸山千枚田である。冬になると決まって、紀伊山系の旧道を走り、峠を越えた。目的はもうひとつ、温泉と味覚と地酒であった(笑)。
その頃はやがて、消え行くであろうと「棚田」の荒れ放題なのを見て、思った。ところが、なんと「見事」に再生させた「ひとびと」がいて、米作りのこころを今に伝えた!
その地に素晴らしい四季があって、朝霧が千変万化して、河から谷へ、山里へ、田畑へ、森へ山へ。やがて、峠の峰を稜線を越えて、熊野灘の黒潮の回廊の風と太陽に出逢うのである。
天空には無数の星が輝き、熊野の山の稜線の少しの間に「くまのみち」風伝峠の切り通しがあって、その先に熊野灘の黒潮の回廊を望める。目の前の漆黒の闇の中にふんわりと漂い、姿を見せ始めて「朝霧」が、やがて。「雲」の誕生となる「ひととき」の姿が、山里の灯火に浮かび上がり始める夜明け前に居た。
東の空から、荘厳な儀式が始まる。ゆっくりと時間をかけて、太陽の恵みが真冬の山里に届く頃、水と太陽のおりなす生命の循環の「四季二十四節気」のひとこまとなる。
米作りは、人作り。日本人の「こころ」の原風景がここにある・・・。