稲の刈り取りのすんだ「水田」に大量の雨が降り、浸み込んでゆく。
9月も中頃にかかろうかという「ひととき」の風景としては違和感を否めない。早すぎる収穫は台風を回避するため・・・小生の記憶の中の黄金の国は10月の太陽と風と空気が醸し出す「野」の「匂い」の感傷的風景の稲穂が垂れている。誕生日と重なる最高の季節・・・
夏バテではないが、少しの間の夏休みにしよう?と思う間もなく出稼ぎが迫り、納品の仕上げの撮影が今週末。仕事がある有り難さと体が動かなくなってきたもどかしさ歯がゆさ情けなさは「人間」の宿命とはいえ、秋は「モノ」思う季節と決まっているのかな。
日本の原風景、風物詩、郷土料理、祭り、巡る季節の四季彩。年々重く感じるようになってきた撮影機材、おぼつかなくなった足元に「気合い」をくれて「旅」に出る。いや、出れるかな、秋祭りの音、声、匂いが「心」をときめかせ、癒してくれる。そこに重なり風景が見える。雨の前の朝霧と雨の後の雲海が東紀州にはある。不思議の国の不思議な光景が展開する。
ひと仕事(撮影)の後の朝に。ご飯、味噌汁、焼き魚、卵焼き、さらに書くと。漬物、焼き海苔、みかんの後に「薬」を熊野名水で流しこむ・・・。非日常での日常の日々を繰り返し、繰り返す「四季」のように。