10年はひと昔。だから、もう50年も前の風景が今に重なるとなると「昔々のさらに昔」の話で、
それでも想い出と現在が同居する。風景の輪郭は変わっていない・・・原風景はなんと半世紀の時の向こうである・・・生活は今よりも活気があって、店も旅館も多くて生き生きとして人の往来も豊かだった。今は人影もまばらで静寂の中で春の訪れた港の風に乗って「潮の香」が匂いたつ・・・。中学生の頃は未舗装路の峠を自転車で越えて、伊勢志摩を巡っていた。今は全面舗装路で気がつけば味気ない・・・。伊勢道路は逢坂越えと言い、今のトンネルの上につづらが続いた。剣峠も鍛冶屋峠も能見坂も地道だった・・・。
伊勢志摩・波切・大王崎・・・天陽干しの秋刀魚、かます、カワハギ、いか、アジなど。炙って、味覚が更に増し美味絶賛の海の幸!6年前の夏、伊勢志摩を一年掛けて四季自然、祭り、郷土料理などの撮影完了の打ち上げで剣峠を越えた(自転車で往復した)。志摩の和具で一泊した。その秋のF-1鈴鹿GP撮影後、しばらくして「心臓」が悲鳴を上げた!
有無言われぬ、未体験の感覚に夜明け前に襲われて、悩んだ挙句「自分」で救急車を呼んだ。それが「間一髪セーフ!」で、まさに全てがギリギリの救急救命で救急隊員の対応のおかげで一命を取り留めた!救急病院への連携に1秒の無駄さえ無かった!で、病院の処置対応もパーフェクトだったから「今」がある!
今、生きている生かされている「意味」を考えている。人として、何をなすべきか?